「自立という名の従順」  06.08.13
                 フィリピ2:12〜16

 救いは神様からの恵みの賜物です。それは「あなたがたは
恵みにより、信仰によって救われました。このことは自らの力に
よるのではなく、神の賜物です(エフェソ2:8)。」とある通りです。
 しかし、その救いを達成するには私たちが働くことが求められて
います。
 神様は私たち全ての人間が救われることを望んでおられます
(Tテモテ2:4)。そのために神様は主イエスをこの世にお遣わしに
なり、また私たちを十字架の死と復活ヘと与らせて下さいました。
 そして、神様について、また自分が罪を犯したということも知らない
私たちの内に働きかけ、その事実に気付かせて下さいます。
 そして「救われたい」という望みを私たちの心の内に立てて下さり、
救いの達成へと私たちを押し出して下さるのです。
 これは、「救われる可能性」が与えられたということです。
 よって、そこに止まっていたままでは、救いは達成され得ません。
 救いを達成するには、内に働いて下さる神様の力に押し出されて、
私たちが働くことが求められています。それでは具体的にどうすれば
良いのでしょうか?
 救いへの唯一の道。それは神様への「信仰」です。信仰とは「神様
以外に頼るのをやめること」です。私たちはどうしても手近な物(身近な
人、占い、自分の力…)に救いを見出そうとしてしまいます。
 しかし信仰はそれらから「自立」することを求めます。
 身近な物に頼りたいという誘惑から「自立」すること。
 それは「自立」であると同時に神様への「従順」です。
 神様以外のものから自立をし、ただ神様のみを頼りに生きること。
 それが「救い達成」であり、私たちを救おうと望んでおられる神様の
御心に「従順である」ということです。
 もちろんそれは、神様が私たちの内に働いて下さるのでなければ、
私たちは決してなし得ません。

 
しかし、この「神様の働きかけ」という賜物を、既に私たちは
主イエスによって授かっています。
 救いの達成に私たちは向かうことができるのです。
 どうかこの恵みの賜物を惜しまずに用いて、神様の御心に
従順でありたいと願います。